音羽城跡
おとわじょうせき
- 更新日
- 2022/07/09
室町時代の末、現在の日野町小谷にその居を構えていた蒲生氏は、音羽のこの地に城を築きました。蒲生秀綱の時、あるいは貞秀の時と伝えられています。この山岳城は、日野川を前に、宝殿山(猪鼻ヶ岳)を背後にした要害の地にあって名城として知られていました。
明応5年(1496)と文亀2年(1502)、敵を迎え撃って大勝をおさめていますが、大永2年(1522)から翌3年にかけての蒲生家同族間の争いには、若き当主秀紀を中心とする五百の兵が8ヶ月に及ぶ籠城をするという悲惨な戦いの末、大永3年3月開城し、直ちに蒲生高郷の援軍佐々木勢によって城は取り壊され、以後は日野川ダムのほとりの中野(日野)城へと城は移り、廃城となりました。
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