平家終焉の地
へいけしゅうえんのち
- 更新日
- 2015/07/03
野洲(やす)市は平家が果てた最期(さいご)の地です。平安時代末期、壇の浦の合戦で平家一門が滅ぼされ、一門の大将・平宗盛(たいらのむねもり)と息子清宗(きよむね)が鎌倉から京都へ送り返される途中、近江篠原(おうみしのはら)で斬殺されました。
現在、屍(しかばね)を埋めたとされる宗盛・清宗親子の墓標がひっそりと立っています。「平宗盛卿終焉之地」と刻まれた石碑と石仏は、長い間にわたる風雪の浸食でわびしい雰囲気が漂っています。
また、墓の向かいにある池は、宗盛と清宗親子の首を洗ったという宗盛首洗池ですが、蛙が哀れを感じて鳴かなくなったことから「蛙鳴かずの池」とも呼ばれます。
所在地 | 野洲市大篠原 |
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アクセス |
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お問い合わせ | 野洲市観光物産協会
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