興聖寺(足利庭園)
こうしょうじ(あしかがていえん)
- 更新日
- 2022/10/20
寛元元年(1243年)宋から帰国した曹洞宗の開祖、道元禅師(どうげんぜんし)が朽木の里を訪れた際、付近の風光明媚な様子が宇治の輿聖寺に酷似していると大変感激して、領主の朽木氏にこの地に一寺の創建を勧めたのが始まりといわれています。林のように木々が茂っている中に寺が立っており、境内からは安曇川や上山などの広大で雄大な景色が眺められます。閑静な境内には本殿のほか、庫裏(くり)や鐘楼などが立ち並びます。本尊の木造釈迦如来坐像は、伝教大師の遺作と称される平安時代の名作であり、檜の寄木造りで、その優美さと尊厳さをそなえた仏像は国の重要文化財に指定されています。
<旧秀隣寺庭園(別名:足利庭園)>
興聖寺の境内にあり、昭和10年に国の名勝指定を受けている庭園です。もともと、16世紀の半ば、相次ぐ武将たちの反乱に追われた室町幕府の第12代将軍足利義晴、そして第13代義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館の庭園です。秀隣寺は、のちに他の地に移され、江戸時代に朽木氏の菩提寺である輿聖寺がこの地に移されて、現在にいたっています。朽木一族を始め佐々木一族・京極高秀や浅井亮政、浅倉孝景等の協力で、管領細川高国が将軍を慰めるために贈ったといわれています。安曇川の清流と比良山系を借景として、西側の築山に石を利用した滝をしつらえ、屈曲した汀線を持った池に仕上げています。池には、2つの鶴亀島を置き、楠の化石の石橋が対岸の出島に架けられています。細川高国の代表作であり、旧秀隣寺庭園とも呼ばれます。
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