高源寺
こうげんじ
- 更新日
- 2022/09/11
もとは天台宗に属し、十福寺と呼ばれていましたが、戦国時代に廃寺となり江戸初期に再興され、天徳山高源寺とし、臨済宗妙心寺派に属し、現在に至っています。最盛期には書院三十坪、仏殿二十五坪、奥殿三十坪、禅堂三十二坪などを要する大寺院で、常に五十有余人が住した湖東における名刹でありました。しかし、明治九年の火災により石田三成の居城であった佐和山城の裏門を移したものである総門以外はすべて焼失しています。またこの寺には、幕末、開国論を実行するため主役を演じた大老井伊直弼と、それを助けた長野主膳、この悲劇の二人に献身して、二人の死後、六十八歳で死ぬまで、直弼主膳の菩提を弔い続けた村山たかの肖像画があります。
所在地 | 多賀町楢崎374 |
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アクセス |
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お問い合わせ | (一社)多賀観光協会
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