金剛輪寺
こんごうりんじ
- 更新日
- 2017/02/21
湖東三山の一つで、奈良時代に聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基が開山した天台宗の寺院。本尊は行基の作と伝えられます。また、源義経(みなもとのよしつね)が義仲追討の武運必勝を願い太刀を寄進したり、北条時宗が佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたといわれます。 山門から本堂までサツキに囲まれた石段が続き、山岳城郭であったころの趣を今なお残しています。石段を登りつめたところに、当時の僧の機智により織田信長の焼き打ちによる焼失の難を免れた本堂大悲閣、三重塔、二天門があります。本堂大悲閣は、鎌倉時代の和様建築の代表とされ、国宝に指定されています。本堂前にある二天門は室町時代の建立で、最初、八脚門と呼ばれる楼門でしたが、江戸時代に二階部分が取り壊され現在の形になりました。三重塔は大悲閣(だいひかく)より古いものですが、荒廃したままとなっていたため、昭和49年(1974)復元されました。 ツツジやシャクナゲの名所としても知られ、山門脇に塔頭の常照庵(じょうしょうあん)が草むらに埋もれ残っていて、寺宝にも見るべきものが多いです。また、厄除けのかぶら汁が接侍される初観音や、大きな数珠(じゅず)を回して念仏を唱える千体地蔵盆など有名な行事もあります。<国宝>本堂大悲閣<重文>三重塔 二天門 木造阿弥陀如来坐像(2躯) 木造十一面観音立像 木造不動明王立像 木造毘沙門天立像 木造慈恵大師坐像(2躯) 木造四天王像 木造大黒天(日本最古) 銅磬
【金剛輪寺庭園】
黒門(惣門(そうもん))をぬけ、白門をくぐった参道の途中に、金剛輪寺の本坊明寿院(みょうじゅいん)があります。明寿院は、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所(がくとうしょ)として使われていました。この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、心の字池が3庭を結んでいます。3つの庭は、作庭された年代がそれぞれ異なる池泉回遊(ちせんかいゆう)・鑑賞式(かんしょうしき)の庭園で、それぞれが名勝に指定されています。桃山時代に造られた庭は、「石楠(しゃくなげ)の庭」と呼ばれ、庭の中央に架けられた優雅な石橋のそばに、鎌倉時代に作られた苔むした多くの石が配され、品格のある雰囲気です。春になると、庭のそばにある護摩堂のカキツバタやシャクナゲが鮮やかに咲き、華やかになります。
江戸初期の庭は金剛輪寺の主庭で、他の庭と趣が異なり、どっしりと落ち着いた雰囲気です。枯れ滝が配され、夏には池一面に睡蓮(すいれん)が清楚な花を咲かせます。また、樹高21mの名松、夫婦松があります。 江戸中期の庭は、滝から池に水が流れ、池の中に七福神の宝船を表わす岩でできた舟が配されています。また、桃山時代の庭の宝篋印塔(ほうきょういんとう)を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれています。またこの茶室からの庭の眺めは美しく、一見の価値があります。
【常照庵】
金剛輪寺の塔頭で、江戸時代に常照院が開基したと伝わります。本堂・不動堂などを備え、本尊の木造阿弥陀如来座像等が国の重要文化財に指定されています。
●近江七福神「大黒天」
所在地 | 愛荘町松尾寺874 |
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アクセス |
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料金 | 拝観料600円 |
営業時間 | 8:30~17:00 |
定休日など | 無休 |
予約の要否 | 不要 |
ウェブサイト | |
お問い合わせ | 金剛輪寺
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