真言宗長光寺
しんごんしゅうちょうこうじ
- 更新日
- 2022/02/18
長光寺は弘法大師を宗祖とし、高野山金剛峯寺を本山とする高野山真言宗のお寺です。正面に本堂、右に大師堂、左に不動堂を配します。御本尊は『千手子安観世音菩薩』です。聖徳太子御建立四十九院の一つであって、其の当時にあっては壮広たる七堂伽藍であったことが古書に依って知られます。
抑も長光寺の始まりは、聖徳太子が老蘇の森に仮宮しなさった時、高階の妃御難産でした。そこで太子は、妃に仏法を信じ仏の加護を祈りなさいとお諭しされました。妃はひたすら諸仏の慈悲を仰ぎなさった所、西南の方より仏の使いが来て、「汝が願いは、正しく観世音が救い給う」と言って飛び去った所、妃は速やかに御安産なされました。早速太子は使いを遣わし、その行方を尋ねられると、この地に八尺の香木と霊石がありました。霊石は五色に輝き、光明の中より千手観音の尊像が現れ、感激なさった太子はこの霊石の上に本堂を作られたのが始まりです。この霊石は今も安置されます。この時、太子は香木にて出現された所の千手観音の尊像を彫刻し本尊とされました。故に、当寺の御本尊は『千手子安観世音菩薩』で、安産の仏様として親しまれています。此の地を記念する為、太子が香木の余枝を御宝前に植えられたのが、花の木です。春、四月上旬には小さい可憐な赤い花が咲きます。秋、十一月中旬には紅葉が大変美しく見頃です。
その昔柴田勝家が、三雲氏と戦う為に裏山に砦を築き水瓶を割って兵士の士気を高めたことから、この山を瓶割山と言い柴田勝家のことを瓶割柴田と言う異名伝説があります。ここから南西方向一キロの所に土塁が残ります。
戦国時代には戦火に飲まれ焼尽する所となりましたが、宝暦年間(一七五三年)玄廣木食上人に依って再興され寺域を今の一小区域に定め現在に至ります。
当寺への歴史上の主な来訪者は、三位中将平重衝・後光厳天皇・織田信長。関連する人物は、足利義満・馬淵氏・柴田勝家・玄広木食上人・松平定綱。関連文献は源平盛衰記巻三十八(鎌倉)・太平記(鎌倉)・東関紀行(鎌倉)・信長公記巻三(安土・桃山)等。
びわ湖百八霊場七十五番、准四国七十六番霊場に属します。
今年は聖徳太子没後1400年祭という事もあり、限定御朱印(2年間のみ)のご用意と、特別御開帳(11月26.27日)が開催予定です。
所在地 | 近江八幡市長光寺町694 |
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アクセス |
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料金 | 通常:志納 御開帳:500円 |
営業時間 | 10時~16時まで (団体のみご予約の事前ご連絡をお願い致します) ※御朱印を含む |
定休日など | なし |
お問い合わせ | 高野山真言宗 長光寺
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